物語 アラビアの歴史
シバの女王は、イエメンの人だった。
アラビアといえば、イエメンやオマーンのことだった。
南部はティハーマ、サウジ西南部 イエメン
没薬と乳香の産地 エチオピアからコーヒー
のちにシリア砂漠より南に住んでいる人をアラブと呼び土地をアラビアといった。
ヒトコブラクダは紀元前3000年紀アラビア半島南東部で家畜化された
紀元前12世紀ごろシャダード鞍が開発され、荷物を運ぶのに使うことができるようになり、隊商が発生した。
ヒジャーズには、シリア、ローマ、トルコなどの支配が及んだがティハーマには及ばなかった。エチオピアやペルシアから支配されることがあった。
アラブの産業は隊商と強盗
お金をくれる人のところに人々は集まり、国家が形成され、金の切れ目が縁の切れ目で人々は離れていくという習性がある。
40人の盗賊もそういう人たちだったのだと思った。
イスラム教はその始まりが戦って勝ち残ってできたものなので、その性格がのこっているものだと思った。
隊商をはじめとして、輸送と商売を産業としてきたアラビア、中東地方、陸上のルート、紅海などの海上ルートが時代とともに変遷していた。
ポルトガルが支配していたインドに東インド会社を作ったころ、ペルシャ湾をも支配するためイギリス海軍はバーレーンを奪還。
このあたりの国々は、海賊を生業としていたが、イギリスが支配するとともに保護領とした。そののこりが点々と小さな国として残っている。
サウジアラビアは石油がエネルギー源として使われるようになり、お金が集まり配ることができるのでいま一時の安定を保っている。
ISも同じような要素でできて消えて行っていると理解した。
奴隷の売買も大きな産業だった。