物質が固体から液体、液体から気体、固体から気体、あるいはそれらの逆方向へ状態変化する際に必要とする「温度変化を伴わない熱」
物質の相が変化するときに必要とされる熱エネルギーの総量である。通常は融解に伴う融解熱と、蒸発に伴う蒸発熱(気化熱)
物質が固体から液体、液体から気体、固体から気体、あるいはそれらの逆方向へ状態変化する際に必要とする「温度変化を伴わない熱」
物質の相が変化するときに必要とされる熱エネルギーの総量である。通常は融解に伴う融解熱と、蒸発に伴う蒸発熱(気化熱)
合成開口レーダー(synthetic aperture radar; SAR)は、レーダーの一種で、航空機や人工衛星に搭載し、移動させることによって仮想的に大きな開口面(レーダーの直径)として働くレーダー。
一般的にレーダーは、通常マイクロ波もしくはミリ波と呼ばれる電磁波を対象物に照射し、反射して返ってきた信号を分析して対象物を観測する。マイクロ波は可視光などに比べて波長が長いため、雲などの影響を受けずに観測ができる。電磁波を使った観測機器のレンズやアンテナなどの分解能は波長に比例するため、マイクロ波をつかうレーダーは同じ直径の光学レンズの10万分の1程度と分解能が非常に低い。光学レンズ並に分解能を向上するにはアンテナの直径を極めて大きくする必要があり物理的に困難で、これを解消するために合成開口レーダーが開発された。
合成開口レーダーの概念は、軌道上に仮想的なアンテナをいくつも並べたものである。軌道を移動中に送受信を繰り返し、受信した電波を、ドップラー効果を考慮に入れて合成し、分解能を向上させている。「小さな開口面であるアンテナを合成して大きな開口面であるアンテナを実現する」ことから「合成開口」と呼ばれる。これは移動方向の分解能向上であるアジマス圧縮の説明で、移動方向と直交方向の分解能向上であるレンジ圧縮効果は、短時間で送信波の周波数を変化させて擬似的にドップラー同様の効果を実現して得る。
合成開口レーダー(SAR)衛星は、太陽光を光源として撮影するのとは異なり、自ら電波を照射し、その反射情報から地表面を観測する。このため、夜間においても地表面の情報が取得できる。
国土地理院で利用している主なSAR衛星
先進レーダ衛星 打ち上げ 2022年度予定
「だいち2号」の後継機として宇宙航空研究開発機構(JAXA)により打ち上げ予定です。
だいち2号打ち上げ 2014年5月24日
「だいち」の後継機として宇宙航空研究開発機構(JAXA)により打ち上げられました。
だいち 打ち上げ 2006年1月24日
地図作成、災害状況把握、資源探査等を主目的とし、宇宙航空研究開発機構(JAXA)により打ち上げられました。
ふよう1号打ち上げ 1992年2月11日
資源探査を主目的とし、宇宙開発事業団(当時)と通商産業省(当時)が共同で打ち上げた衛星。合成開口レーダーに加えて可視・近赤外域と短波長赤外域の2種類の光学センサーを搭載しています。
立体赤色地図で有名な航空レーザ測量では
https://www.gsi.go.jp/kankyochiri/Laser_senmon.html
https://www.gsi.go.jp/chubu/minichishiki11.html
近赤外パルスレーザ(波長1064ナノメートル:nm)が用いられていて、有視界で行われているんでしょうね。
ちなみに
電子顕微鏡はなんで光学顕微鏡より良く見えるかというと
電子線の波長が
https://wakariyasui.sakura.ne.jp/p/atom/ryuuha/doburoi.html
でとても短いから。
数の復習
有理数 分数 小数 Q=Quotient(「商」英)
紀元前1000年頃のエジプトで帯分数がすでに使われている
ヨーロッパの数学においては、小数の導入は遅れた。これはエジプト式分数表記が普及していたためである。ヨーロッパで初めて小数を提唱したのは、オランダのシモン・ステヴィンである。1585年に出版した「十進分数論」の中で、初めて小数を発表した。
整数 Z=Zahlen(「数」・複数形(独))
6世紀にはインドの数学者によって負数の概念が発明されており、負数の加法と減法の満たす規則が定められており、また負数は負債を表し、正数は収入を表すものとして表れている。
ほどなくして中国の数学者たちも独立にその概念を発明した。ヨーロッパでは16世紀まで負数が用いられていなかった
負の数について論じた最古の文献は、紀元前1世紀から紀元後2世紀に成立した古代中国の『九章算術』であり、0および負数の加減演算が扱われている
ヨーロッパで整数の概念が現れるのは遅く、よく知られた二整数の積に対する符号の規則は一般にステヴィン (1548 - 1620) に帰せられる。
形式的な定義が19世紀に達成される前から数の体系として使われていた。「実数」という名前は複素数の概念が導入された後に「普通の数」を表現する言葉として導入された
紀元前600年頃のインドでは無理数の使用や円周率の近似値として 3.16 が与えられてい
複数の要素からなる数
実数 a, b を係数として 1, i の線型結合で表される数 a + bi を複素数と呼ぶ。
実数 a は a + 0i と表せるので複素数である
純虚数 bi = 0 + bi (b ≠ 0) の形の複素数
複素数 z = a + bi (a, b ∈ R) に対して、
a を z の実部 (real part) といい、Re(z), ℜ(z), Re z, ℜ z などで表す。
b を z の虚部 (imaginary part) といい、Im(z), ℑ(z), Im z, ℑ z などで表す。
虚部とは実数「b」を指し複素数「bi」ではない。
実部、虚部がともに整数のときガウス整数といい、Z[i] と書く。
実部、虚部がともに有理数のときガウス有理数といい、 Q(i) と表す。
虚数を発見したのはカルダーノで、1545年の代数の本に、10 を積が 40 になる2つの数に分ける問題が載せられている。
オイラーによる虚数単位 i = √−1 の導入(1770年頃)、ガウスによる複素数平面の導入(1831年公表)、代数学の基本定理の証明(1799年)を経て、徐々に多くの数学者、人々に受け入れられるようになった。
本当に水の上で演奏されたんだって、
wikiには下記のようにかかれているけど
ららら♪クラシックでは少し違った解釈になっていたのでメモ。
ヘンデルは渡英中に情報収集していた。
ハノーファー選帝侯がイギリス王になる可能性があることを意識していたかのような言い回し。
舟遊びは、英語が話せなくて人気がなかったジョージ1世のためにイギリスで人気があったハイドンが一役かった。
往復の間に3度も演奏させたという記録が残っている。を利用した。
ヘンデルは、1710年にドイツのハノーファー選帝侯の宮廷楽長に就いていたが、1712年以降、帰国命令に従わず外遊先のロンドンに定住していた。ところが、1714年にそのハノーファー選帝侯がイギリス王ジョージ1世として迎えられることになる。
そこでヘンデルが王との和解を図るため、1715年のテムズ川での王の舟遊びの際にこの曲を演奏した、というエピソードが有名であるが、最近の研究では事実ではないと考えられている。しかし現在確実とされているのは、1717年の舟遊びの際の演奏であり、往復の間に3度も演奏させたという記録が残っている。
後、1736年にプリンス・オブ・ウェールズの妃に決まったオーガスタを迎えるための舟遊びが催され、そこでも『水上の音楽』が演奏されているが、この曲は1717年の曲とは別のものであったらしい。現行の『水上の音楽』は、これらの舟遊びに関係して数度に分けて作曲、演奏されたものと今日では考えられている。
中国語では黴雨と書いていたが同じ音の梅雨と書くようになった。
この説がいいかな
漢字の「梅雨」ですが、実は中国語の辞書にものっています。「梅雨」と「黴雨」。読み方(メイユーと発音するそうですが)も同じ。前者は「黄梅雨」とも書かれており、梅の実が熟すころの雨、後者はかび(黴)の生えやすいころの雨という意味になるそうです。
唐の時代の太宗の詠んだ詠雨という漢詩に、
和氣吹緑(※)野,梅雨灑芳田。新流添舊澗,宿霧足朝煙。
雁濕行無次,花沾色更鮮。對此欣登歳,披襟弄五弦。
というものがあります。2節目に「梅雨灑芳田。」(梅雨が芳田(いい匂いの田という意味のようですから麦畑を指していると思われます。春の麦の収穫時期がちょうど6月頃になります)を潤す)と書かれており、唐の時代には、「梅雨」という漢字が使われていたようです。
さらに、1500年代終わりごろに中国の李時珍とう学者が書いた「本草綱目」という本草学の本に「梅雨或作黴雨,言其沾衣及物,皆生黒(※)黴也。」(梅雨・黴雨は、服や物をぬらし、皆黒かびが生える)という表記がありますので、少なくとも約400年前には「梅雨」「黴雨」という二つの漢字を使っていたようです。
どちらにせよ、中国から渡ってきた漢字と意味を(ちなみに植物の梅も中国が原産で、遣隋使(あるいは遣唐使)によって日本にもたらされたという説が有力です。)そのまま、日本の気候に当てはめたというのが正解のようです。
さて読み方ですが、江戸時代の著名な学者、貝原益軒も監修をつとめた「日本歳時記」(1688年)には「此の月淫雨ふるこれを梅雨「つゆ」と名づく」という表記があります。どうやら、今の季節の長雨のことを一般的に「つゆ」と呼び始めたのは江戸時代になってからのようです。
文中の(※)部分はそれぞれ旧字体の緑と黒です。
唱歌の歌詞は64 664
3拍子の曲の場合に成り立つ。
唱歌「ふるさと」は3拍子の賛美歌の影響を残している。
https://blog.goo.ne.jp/ybk-hdo/e/c0403272bea554c7d1030db928b4c66c
「讃美歌21」を礼拝で用いる教会も増えてきています。
http://web2.incl.ne.jp/hakuich/churchmusic1.htm
なに讃美歌21って・・・・
讃美歌集って次々作られているんだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AE%83%E7%BE%8E%E6%AD%8C%E9%9B%86%E4%B8%80%E8%A6%A7
聖書みたいに決まったものだと思ってた。
讃美歌の曲集に「聖歌」のタイトルが付けられている場合も少なくないが、本質的な差異は無い場合もあり、編集の基準も同様となっていて同じ曲を採用している場合もある。
カトリック教会では「聖歌」と呼んで「讃美歌」とは呼ばず、歌の内容も異なるものが多い。
西方教会で最初に讃美歌を作ったのは、ヒラリウスであると言われている。小アジアへ亡命していたときに聞いた東方教会の賛美を聞いて、ラテン語の歌集を著した。
ローマ教皇グレゴリオ1世がそれまでの歌曲を改編して、「グレゴリオ聖歌」を作り上げて、ローマ教会の公認の聖歌になった。
古い讃美歌や作者不明のものなど題名が判らないものも多く、歌を探しやすくするためもあり多くの讃美歌集には、歌ごとに番号が付けられており、題名が書かれていないものや最初の一句を題名の代わりに書いている讃美歌集も多い。
歌詞の1番、2番……を讃美歌では節という。これは、1番、2番…というとその讃美歌ではなく讃美歌集の1番、2番…という意味になるからである。
ミーターは歌詞の音韻上の形式で、節のなかの音数(音節数)のことである。同じミーターの曲は、詞と曲とを入れ替えて歌うことができるため、欧米にはこれを利用した替え歌の習慣がある。
標準的なミーター:
伝統的な讃美歌はコラールの編成、すなわち、混声四部合唱の編成で書かれることが多い。実際の礼拝では、多くオルガンで伴奏される。
個々の讃美歌には名前が付いている場合が多い。しかし、讃美歌には替え歌の習慣があり、同じ詞に異なる曲が付いていたり、同じ曲に異なる詞が付いていることが多くある。
コラール(独:Choral)は、もともとルター派教会にて全会衆によって歌われるための賛美歌である。
コラールの旋律は多くの場合単純で、歌うのが容易である。これはもともと、専門の合唱団ではなく、教会に集まった会衆の人々が歌うものとして考えられていたからである。ほとんどのコラールがドイツのバール形式としても知られる、A-A-Bの旋律パターンをとっている。
キャロル(英語: Carol)は元来は、踊りのための民謡であったが、宗教的な礼拝の中で歌われて、現在では通常、祝歌、頌歌(しょうか)と訳される賛美歌の一種と考えられている。キャロルの語源は、フランス語の単語Caroller(歌で伴奏されたサークルダンス)に、さらにはラテン語のChoraulaに由来すると考えられている。
キャロルは、1150年代から1350年代までのダンスソングとして非常にポピュラーであった。それが後に、祭りの時に歌われた行列聖歌として、その使用が拡大した。
ゴスペル (gospel) または福音音楽は、アメリカ発祥の音楽の一ジャンル。元来はキリスト教プロテスタント系の宗教音楽。ゴスペルは英語で福音および福音書の意。
「霊歌」(スピリチュアル、黒人霊歌)は白人の教会音楽、宗教音楽/クラシック音楽と、黒人音楽の融合音楽ジャンルである。それに対してゴスペルは黒人の感情の発露やアフリカ的なシンコペーションなどが特徴である。
白い花
https://www.hana300.com/aaasiro.html
これ朧月(オボロヅキ)っていうんだ。
なるほど春限定なのね。
朧月夜(おぼろづくよ、おぼろづきよ)は紫式部の物語『源氏物語』の架空の登場人物。六の君、有明の君、尚侍君(かんのきみ)とも呼ばれる。
黄砂 時期としては、春にもっとも多く発生する。降水量が少なく地面が乾燥する冬は、シベリア高気圧の影響で風があまり強くない穏やかな天候が続くうえ、ほとんどの乾燥地帯の表土は積雪に覆われてしまうため、黄砂が発生しにくい。春になると、表土を覆った積雪が融け、高気圧の勢力が弱まる代わりに偏西風が強まり、低気圧が発達しながら通過するなどして風が強い日が増えるため、黄砂の発生も増えると考えられている。春の中盤に入り暖かくなってくると植物が増え、夏になると雨も多くなるため、土壌が地面に固定されるようになって次第に黄砂の量は減り、秋に最少となる
朧
[名]
1 タイ・ヒラメ・エビなどの肉をすりつぶして味を付け、いり煮にした食品。そぼろ。
1 ぼんやりとかすんでいるさま。はっきりしないさま。
2 不確かなさま。
そぼろ 素朧
牛や豚や鶏の挽肉、魚肉やエビをゆでてほぐしたもの、溶き卵などを、(そのままあるいは調味して、)汁気がなくなりぱらぱらになるまで炒った食品。
より細かくほぐしたそぼろをおぼろ(朧)という。
そぼろの語源は「粗朧(そおぼろ)」であると言われている
ぼろ(襤褸)
《擬態語「ぼろぼろ」から出た語》
1 使い古しの布。ぼろきれ。
2 着古して破れた衣服。また、つぎだらけの衣服。
褸
つづれ
婁 11画 女(8)
[音] | ル |
ロウ |
[訓] | つなぐ |
つながれる |
《意味》
《字源》
婦人の髪を高く巻きあげた形。高く重ねる、透かすなどの意がある。
建物には「樓(楼)」、糸には「縷」といい、「婁」は女の髪、これを打って乱すことを「數數(さくさく)(数)」という。「縷」のように巻き綴った糸を、引きたぐることを「摟」という。
「婁」のひっぱる・つなぐの意は「摟」に当てた用法。
婁宿(ろうしゅく・たたらぼし)
二十八宿の一つで、西方白虎七宿の第2宿。距星はおひつじ座β星。
28という数字は、月の任意の恒星に対する公転周期(恒星月)である27.32日に由来すると考えられ、1日の間に、月は1つのエリアを通過すると仮定している。
ボーロ (bolo) とは、ポルトガル語においてはケーキを主とする菓子の総称
『古今名物御前菓子秘伝抄』などの菓子の製法書に製法が残されているが、当時の材料には卵は用いられていなかった[3]。次第に材料に胡麻や大豆などを用いる工夫も重ねられ、造形も王冠、あるいは花びらのような形に成形された花ぼうろとして親しまれていた様子が『名代干菓子山殿』や『小紋裁』に記述されているが、成形の手間などから次第に廃れ、2016年現在その痕跡は沖縄県の花ぼうるとしてみるに留める[3]。これは他のボーロと異なり複雑な形をしており、食感はクッキーに近いものである。
小麦粉の他にもそば粉や片栗粉を主原料とし、卵、砂糖などを加えてこね、成型してから焼き上げられる。一般的にはカリッとした軽い歯ざわりと口中でさらりと溶ける食感が特徴であるが、中にはカステラのようにしっとり焼き上げたものもある。形としては丸めてから平たくしたものや、小粒のものなど様々である。
販売される商品名も「乳ボーロ」「丸ぼうろ」「たまごボーロ」「ミルクボーロ」「ベビーボーロ」「そばぼうろ」「松葉ボーロ」[4]「堅ボーロ」(滋賀県長浜市)など様々な名称で広く市販されている。「丸ぼうろ」は佐賀市の銘菓であり、佐賀をはじめとする九州の土産菓子として有名である[5]。
なお小粒のボーロは離乳食として用いられることもある。「衛生ボーロ」という商品名もあるが、この名称はボーロを販売した現在の「西村衛生ボーロ本舗」が、当時(製品誕生は明治26年)の流行り言葉であった「衛生」を用いたとされている。